2015年4月16日木曜日

バンブー剣 Part1

 4歳か5歳のころの小学校にあがるまえから、中学生の終わりまで僕は剣道少年だった。


 きっかけは、戦隊ヒーローにあこがれてというわけでもなく、両親が剣道をしていたというようなことでもなかった。幼少期から剣の道の説く克己の精神に憧れを抱いていたということも、勿論ない。ご近所の母親の友人、所謂ママ友の誘いがきっかけで僕は週2日、町の剣道クラブの練習に通っていた。

 小学校に上がるまでは、防具なしの袴姿で素振りをし、防具を着せた鉄のマネキンを引っ叩くことが稽古の主だったので、そこそこ楽しかった記憶がある。だけど小学生になると防具を着せられ、対人の稽古が始まる。目の前で小学校高学年のお兄さんお姉さん方が、つばぜり合いからの体当たりで大人に吹っ飛ばされ、涙声で打突部位を叫ぶ姿を眺めていたと思ったら、あっという間に自分が吹っ飛ばされる立場になり、剣道がいよいよ大嫌いになっていた。
 稽古の曜日は火曜日と木曜日だったのだけれど、問題はその時間帯だった。7時から9時の2時間。小学生にとっては大事な大事なゴールデンタイムだった。テレビが見れずに、「うりなり」の話で盛り上がるクラスメイトがうらやましかった。僕にとってビビアンスーはPVの中だけの人だった。火曜日と木曜日はずる休みをすることばかり考えて、実際に仮病を実行したことも何度もあったが、たいていはずるずると嫌々に稽古に向かった。
 こんなに嫌々でも勝利の喜びがあれば報われるのだが、なにせ我が剣道クラブは地区大会最下位常連の、常勝ならぬ常敗弱小クラブだった。僕は小学校を卒業するまでの間、全くと言っていいほど大会で満足な成績を残したことがなかった。同学年のなかではそれなりキャリアが長く、型は綺麗だったので、20人程度のトーナメント戦でもの凄く調子良くても3位入賞出来るか出来ないか。一回戦負けも少なくない程度の実力だった。他の町の剣道クラブの稽古は毎日で、有段者の警察官が師範だった。週2日の練習を嫌々行っている不届き剣士が勝てるほど剣道は甘くなかった。負けると一丁前にその時だけは悔しさがあったが、すぐにどうでもよくなった。試合のたびに父親に「悔しがってるふりをするな」と怒鳴られるのは、図星だったから精神的に堪えたのだろうと、今になって思ったりする。

 好きじゃない剣道。毎週2日の憂鬱な練習。勝てる気がしない月1回の試合。

 小学校5年生くらいのときだったと思う。一度だけ母親に、剣道が嫌なら辞めてもいいよと言われたことを覚えている。上記のありさまで本当に一度だけだったのだから、せっかくだから出来るだけ剣道を続けてほしいと願う両親が真剣に相談してのことだったのかもしれないと、後になって想像した。一世一代の大チャンスの到来だった。ここではっきりと、「もう辞める」の一言で、僕の小学生時代に影を落とすストレスの元凶と決別できる。絶好のタイミングだった。それなのになぜか僕は、辞めると言えなかった。厳格な父親が怖かったのかもしれない。母親に小さなプライドを示したかったのかもしれない。その理由が今でも曖昧なくらいに、僕は即答した。

 小学校を卒業した僕は、町に一つしかない公立中学に通うようになった。そこで僕は部活に剣道を選択した。本当は音楽がやりたかったので吹奏楽部に入りたかったのだけど、どう見ても虚弱体質かなにかであろう男子部員がひとりいる以外は全員女子部員だったし、小学生のときに少しだけトランペットを吹いた経験があって唇が痺れる感覚が嫌だったので、高校生になったら軽音楽部にでも入って音楽に挑戦しようと思って、入部を避けた。いや、それも理由のひとつには違いなかったけれどただの口実で、剣道以外を選択して両親がどう思うか、その後ろめたさから剣道部を選択したというのが、本音だった。


 中学時代の剣道部での思い出は、その半分がサボり放課後まったり堕落である。部員も少なく、コーチもおらず、顧問は週2日くらい終わり際に顔を出すだけだった。中学生が自発的に防具を着用して稽古に勤しむほど、剣道にレクリエーション的側面はなかった。少なくとも僕たちはそう感じていた。ダメになった竹刀を加工して弓を作って遊んだり、石ころに水をつけてコンクリートに擦り付けることで表面をツルツルにして遊んだり、古今東西のスポーツ漫画の必殺技を参考に試合で使える訳もない小技を開発して遊んだり、とにかく遊んでいた記憶がある。

 しかしもう半分の思い出はは、驚くべきことに、懸命に自発的に練習をしていた記憶だ。入部した時点で男子の先輩は3年生しかおらず(僕以上に部活に取り組む態度がひどかった)、当然夏には引退してしまったので、まがいなりにも同学年で一番キャリアがあった僕が男子剣道部の部長となった。コーチ不在の弱小剣道部。稽古の支配者に君臨し、メニューを考え、号令によって稽古をコントロールすることに、私は次第に面白みを覚え始めていた。


 かかり稽古という練習法が剣道や柔道にはある。剣道におけるそれは、一般的には先生に向かって休みなく打ち込み続けるというものである。そして甘い打ち込みをするたびに、防具で守られている部分やそうでない部分をひっぱたかれたり、体当たりで吹き飛ばされたりするというものであった。しごきの側面が強いものであり、稽古後半に行われることが多い。あらゆるスポーツがそうである様に剣道もやはり基本技の反復だけでは強くなれず、掛かり稽古は上達に必須の練習メニューだった。
 コーチ不在の剣道部部長であった僕が徹底的に部員に課したのが、相掛かり稽古だった。剣道は相手の隙を見極め先に遠くから正確に速く打ち込める方が勝つのだが、実力が拮抗している場合は相手が打ち込みの体勢に入ったその瞬間に生まれる隙を突く勝ち方もあるため、試合で闇雲に打ち込み続けたりすることはない。動的ではない読み合い、せめぎ合いが生まれる。相掛かり稽古はそういった剣道における隙の探り合いは無視し、かまえの体勢の時間をなるべくなくすように、お互いに打ち込んで打ち込んで打ち込み続ける練習だ。ワンセット1分程度で、休憩を挟んでまた1分。コーチ不在の剣道部はお互いにシゴキ合うしかなかったということだ。
  
   号令を合図に打突の嵐。始めのうちは2時間の練習のうち20分も行わない程度だったが、3年生の最後の大会前には2時間の練習の半分を相掛かり稽古に費やした。部員にとっては当然、楽ではない稽古であったが、僕は自分の限界を徐々に底上げしていく様ペースをコントロールすることで生じる、軽度のトリップ状態を楽しんでいた記憶がある。

  そしてその頃には、僕は最後大会での団体戦県大会出場を、漠然と目論むようになっていた。




〜続く長文、自分語り〜

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